勝間塾での友達がブログを始めたんだって!いやー嬉しいなあ!

Facebookでの投稿

彼はそれまでFacebookの投稿がメイン。

その投稿には思いがものすごく詰まっていて、1つ1つの投稿がすごく長い。

しかしながら、起承転結がハッキリしていて、読んでいて彼の想いがきちんと伝わってくる。

そういった文章だったのです。

もったいないという感情

僕はその彼の投稿を見るたびいつも、「もったいないなー」という感情がどうしても抑えられず。

それはなぜか?

SNSの投稿の事を英語で「post」といいますが、彼の投稿は紛れもなく「article(記事)」。

「たまたまその時Facebookを開いた人だけがその文章を読める」といった環境に、その文章を置いておくのが非常にもったいないと思ったのです。

いや、「置いておく」という表現よりも、「流してしまう」という表現の方がより適切かもしれないな。

なぜなら「置いたもの」は取りに戻れるけど、「流してしまった」ものは簡単には取りに戻れないから。

articleには1つ1つちゃんとURLがついていて、何年経ってもそのURLに行けば見られるけれど、SNSの投稿にはURLが無いから本当に戻れなくなっちゃうもんね。

最近では投稿後数時間で消えるSNSとかも出てきたらしいけど、文章を資産だと考えるようになった僕にとって、ほんと信じられない話だわ。

このあたりに関しては以前書いたことがあります。




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postとarticleの違い

ちなみに僕の中でのpostとarticleの違いはこんな感じ。

post

twitter1

article

article1

ね、全然違うよね。

「ボタン押したい」という一時の感情の、さらにその極小な一部分だけを切り出したものがpost。

それに対してarticleの方は「ボタン押したい」という感情を持つ自分に対して向き合い、「なぜ自分はそう感じるのか」、「全ての突起物に対してそう思うのか」、「ボタンを押した後にそれが理由で何か起こったと仮定すると、自分はそれに対してどう対処するだろうか」など、様々な深掘りをすることになる。

まさにarticleを書くということは自分自身を見つめ直す「自分探しの一環」であり、俗に言う「自分探しの旅」に出かけてSNSにpostを繰り返すよりもよっぽど有益で価値があるのである。

おわりに

さて話を戻すと、彼のFacebook投稿は明らかにarticle。

それをブログという形で残す取り組みを始めたのは、本当に嬉しいなと。

あ、最後に1つだけ。

ブログって「毎日書こう」とか「1週間に1度は書こう」とか決めちゃうと、結構重荷になっちゃうよ。

本当は自分を見つめ直すのに非常に有益なツールであるはずなのに、変な制約をつけることで苦しくなって続かないっていう話はよく聞くしね。

仕事じゃないんだから、書きたいことがある時に、軽い気持ちで書けばいいのよ。

「書くことがない!俺には才能がない!だからもうブログやめる!」っていう風に思いつめたり、ON/OFFをハッキリさせるんじゃなくて、記事なんて1ヶ月に1回でも、1年に1回でもいいから、自分が考えている事を表現できる場を、細ーく長ーく持っておくことに意義があるからね。

この言葉をこの友人と、そしてブログを大きく育てた後にバッサリとやめてしまった10年前のアホな僕自身に捧げたいなと思います。

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