毎年8/6になると、テレビは一斉に戦争の話になる。

それを見て、僕は毎年ばあちゃんの言葉を思い出す。

「もう戦争の話なんか見たないわ」

百聞は一見に如かず

僕のオトンが戦争終わった次の年に産まれているので、じいちゃんとばあちゃんはまさにその戦争の苦境をリアルに乗り越えて来た人なわけである。

「あん時はほんま大変やったんやで、ゴハンも無くてなあ」

「じいちゃんの友達はみんな神風の飛行機に乗って行ってしもた」

テレビを見てるだけ、話を聞いているだけの僕たちに、そのじいちゃんとばあちゃんの感じた苦しみがきちんと伝わるわけがない。

「戦争を語り継がなければいけない」というキレイな言葉のもと、

そのテレビはただ、戦争をリアルに体験した人達に対して普段忘れている最悪な記憶をありありと思い出させてしまうだけだったのかもしれない。

「もう戦争の話なんか見たないわ」

僕はばあちゃんのその言葉を聞いてから、ばあちゃんの前で戦争の話をするのをやめた。




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風化させてはいけないのか

戦争を語り継ぐ必要が無いとは言わない。

人を殺し合う戦争など、2度とあってはならないことだから。

だけど、むりやり「風化させてはいけない」という思いはもう持たなくていいのではないか。

それを言い出したら、原爆だって地震だって飛行機墜落事故だってサリン事件だって脱線事故だって、ほかの事件/事故だって、全てが風化させてはいけないわけで、毎日過去を振り向いていなければならない。

それは、本当に大事なことなのか。

ある国では、過去に起こった日本国との関係がもとで、当時のことを知らない人達が反日感情を持っているケースだってある。

最悪な出来事を風化させないことでこんなことが起こっているのなら、それは誰にとって得なのか。逆に不幸なことではないか。

そう思うのである。

まとめ

風化させないということは、過去にとどまるということである。

しかし、たとえ過去に何があろうが、僕たちは「今、この時」を前に進んでいかなければならない。

だから時には、国民の目が未来に向くよう、あえて過去を風化させることもメディアの役割の1つなのかもしれない。

悪いことは早く風化させてしまって、むしろイイことを風化させないようにしようよ。

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