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僕は何のために生きているのか。何がしたいのか

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僕は何のために生きているのか。何がしたいのか

今、部屋で一人でブログを書いている。

僕は普段はかなりポジティブな方だが、定期的に訪れるこのネガティブな波が、今まさに僕の心を訪れている。

それは毎回同じような内容で、繰り返し僕を苦しめる。

僕はその正体が分かっているので、いつも同じように受け流すのだが、きっとこれからもずっと付き合っていかないといけない心情なので、一回くらいブログに書いておいてもいいかなと思って書いてみる。

夜中に書いたラブレターのようにならないことを願うが、まあたとえそうなったとしても、書くことで何かが改善されるかもしれないことを期待しようと思う。

ネガティブな波の正体

さて、僕が今向き合っているネガティブの正体とは何か。

それは、『僕は何をしたいのか?』という問いである。

コーチングなどではよく使われる質問だと思うが、残念ながら僕はその答えを持ち合わせていない。

この問いはいつ僕を襲ってくるのかというと、今回のように土日にまなどん(妻)や息子たちが帰省するなどして一人になった時が多い。

一般的に「独身貴族、いいですねー」などと評されるこの状況だが、それは何かしたいことがあった上での話であり、誰とのアポイントもなく一人になった状態において、僕は全く解放感は感じない。

では孤独感を感じるのかというと、それとも違う。寂しいわけではない。

僕の感じているこの感情は、「閉塞感」と言うのが最も近いのではと自己分析する。

この閉塞感が、ネガティブの正体の半分を占めているでのある。

なぜ閉塞感を感じるのか

『何をしたいのか分からない』というこの閉塞感、それはなぜ僕を襲うのか。

僕はストレングスファインダーでいうと、最上志向、学習欲、競争性、戦略性、達成欲を上位に持っている。

これはどんどん上を目指し、そのためにやり遂げないといけないことは全力で休みなくやるし、そのために学ばなければいけないことは死に物狂いで学ぶ、、、といった資質である。

僕は転職をしてからまだたった1年4ヶ月しか経っていないし、スポーツ&アウトドア事業に加えてカー&バイク事業、おもちゃ事業までが担当範囲となったわけで、仕事の方はお陰様で充実しすぎるくらい充実している。

しかし、いざこうして日曜日に一人になった時に、さあ仕事以外の何をしようかなと考えると、一気にその反動が心に来るのだ。

いや、結果として一人になった時に仕事をしてもいいと思ってるし、これまでも結構やってきてるし、それを一切ストレスに感じてないというのは自分で分かっているんだけど、何となくプライベートでもやりたいことが欲しいなあと思って。

やりたいこととは

僕は趣味として競馬や麻雀をたしなんでいるし、やっていて十分面白さは感じている。

じゃあそれでいいのか?というと、ダメなのである。それでは僕の心が満たされないのだ。

なぜなら、僕はもう20年間も競馬や麻雀をやり続けてきており、良くも悪くも、そこまで大きな成長が無いのが自分で分かっているのである。

僕のやりたいことは、前述の通り、『どんどん上を目指し、そのためにやり遂げないといけないことは全力で休みなくやるし、そのために学ばなければいけないことは死に物狂いで学ぶこと』なのである。

今の僕の人生の中で、上を目指したり、達成目標が入っているものって何だろう?・・・ほら、また仕事に戻ってくる。だから仕事楽しいんだと感じるんだろうけど。

でプライベートで言うと、これまでは何に成長を感じ、ハマってきたかというと、
・大学時代、死ぬほど麻雀したり

・競馬を当てるためのプログラム作成のために、エクセルのマクロを学んでみたり

・パワーポイントの魅力的な見せ方を学んでみたり

・株式市場の出来高分析プログラムを自分で作りだしてみたり

・それを世に出すためにHTMLやCSSやFlashを独学で学んだり

・中高時代だと灘高や東大に入るために受験勉強を頑張ってみたり

・転職活動で何を聞かれたらどう答えるかを深く考え、何にでも答えられるように準備したのもめっちゃ面白かったり

・ブログを通して色々自己発信するプラットフォームを構築するのもなかなか充実してたり

・直近では人狼ゲームやカタンに面白さを感じたり

こんな感じかなあ。

で、どんなものか理解し、一通り出来るようになると、後はそれをやり続けることは『興味』から『時間の消費』に変わっていくのである。

よく『釣った魚にエサはやらない』という表現があるけど、僕は『ある程度理解した趣味からは興味が薄れる』のだ。

そうして多くの趣味から興味が薄れていき、『さあ次何をしよう!あれ?何もないじゃん・・・』となった時にこの閉塞感がネガティブとなって僕を襲うのである。

なぜ次が見つからないのか

なぜ次の興味が見つからないかというと、新しい刺激が無いからである。

では新しい刺激はどこからもらうのか。

それは本やネットからではない。自分が実際に会い、話した人からもらうのだと思ってる。

僕もありがたいことに、一緒に話をしている人から「刺激をもらいました!また話しましょう!」と言っていただけることが度々あるが、冷静に考えてみて、僕の方はその時に刺激をもらっているのだろうか。

そう考えた時に、僕自身もしかしたら所属するコミュニティを変える時が来ているのかもしれない・・・とか思ってしまったり。じゃあそんな次のコミュニティがどこにあるのかすら分かんないけど。

ただ、今の自分のコミュニティの中で自分の知恵や経験を誰かに伝えて、それを受けた人が成長するということに限っては興味があるし、面白いと思うし、そこに時間かけてもいいかなと思う。自分自身が新しく何かを経験するわけじゃないんだけどね。

ネガティブのもう半分

さて、僕はネガティブの半分閉塞感から出来ていると書いた。

じゃああと半分は何なのか。

それは焦燥感である。

何に焦っているのかって?予定が埋まっていないことに対する焦りである。

僕は元来、予定表の白紙が大嫌いなのである。

これ、ストレングスファインダーの達成欲の人にありがちらしいね(笑)

大学生の頃、毎日麻雀や飲み会をしていたのも、そのこと自体に面白さを感じていたのが半分、予定表の白紙を埋めたい気持ちが半分だったと自覚してた。

最近では、「1人の時間が大好き」とか「1人の時間を大事にしたい」というコメントをSNSでよく見かけるが、僕の中にそのような感情は1mmもない。

逆に誰かと会っていないと、自分が必要とされているのかと不安になる感じ。

別に飲みに行かなくても、喫茶店でちょっとお茶したり、なんか軽いトークをしたり。オンラインでもいい。前述の刺激とか関係なく、これはこれで何か予定が入ればそれで満足するのだ。

先日とだてふゆき氏のイベント1年間無料参加し放題のクラウドファンディングに支援をしたのも、こういう気持ちがベースになってるね。

なので、僕の感じている焦燥感は解決が難しい大きな課題ではなく、誰かと何かの予定を入れていれば満たされる。

ただその中で感じる閉塞感は、その予定を繰り返している中で自分の成長を感じたいという中長期的な課題になるね。

焦燥感における問題

ただし、この焦燥感において、1点だけ自分でも分かっている大きな問題がある。

それは、家と会社の往復だけの生活を否定する気持ちがあるということは、まっすぐ家に帰って家族と過ごすことを否定することと同義ということである。

家庭があることが当たり前になってしまっていて、会社からまっすぐそこに帰ってくることは何もしていないと同等だと感じてしまっている。

そして、毎日まっすぐ家に帰る日が続くと、何となく何もしていないような気になってイライラしてしまうのだ。

たまに家に帰った時、まなどんに「なんか不機嫌だね、どうしたの?」と聞かれ、「いや、別に・・・」なんて答えてる時なんかは、大抵この焦燥感側のしょうもない焦りが言葉にならない感覚として表れているのだと思う。

夜帰る前に、仲良しのM氏の席にふらりと寄って30分くらい雑談をしてから帰ることがよくあるが、それは無意識的にこの焦燥感を抑えようとしているのかもしれない。

まあこの家にまっすぐ帰ることから来るイライラやネガティブな気持ちを抑えるには、まなどんと常に議論し、新しいことにチャレンジし続ければいいんだけどね。僕は単純だから、そしたら「早く家に帰ってまなどんとこないだの案件の続きを話したい!」ってなるのが目に浮かぶわ(笑)

後は、まなどんが着想持ちの活発性なので、まなどん発案で色んなことをやってみようってなるのは面白いなと感じてるかな。とはいえ今はどうしても子ども中心になるけど。正直子ども中心ではなく、僕ら視点で生きていきたいんだけど、こればかりはねえ。

まあ人生というのは、基本的で安定的な事柄から出来ている部分(衣食住、家庭、子育て等)と、刺激的でチャレンジする部分(仕事、今出来ていないこと等)の2つのパーツから出来ていて、安定的な事は変わらないことが幸せ、刺激的な事はどんどん変わっていくことが幸せなんだという、両者が二律背反していることを、改めて認識をしないといけないのだと思う。

後者ばっかり追い求めて前者をないがしろにしていては、きっとどこかで歯車が狂うということだね。

対処方法

さて、自分にネガティブな気持ちは襲い掛かってきたときに、どのように対処しているのか。

それは・・・『ゲームに逃げる』のである。

だってさあ、今のコミュニティに刺激が無いのも、仕事後の夜の予定が一週間空白なのも、考えたって仕方ないじゃん。

なので会社帰りに3DSで逆転裁判とか風来のシレンとか、コツコツ長い時間かけて進めるゲームをやって現実から目をそらすんだよね。

これ多分、ストレングスファインダーの達成欲を別の形で満たしているんだと思うな。だってゲームしてたら予定表の白紙気にならないもん。むしろ予定あったらゲームやりたいのに出来ないし(笑)

まあこうやって対処してるってのは、こないだまなどんに「なんか悩んだりモヤモヤしてる時、絶対ゲームするよね(笑)」って指摘されて初めて気づいたけど。

でもゲームをしたって問題は何も解決しないし、自分に1mmも成長が無いのは分かりすぎるくらい分かっているので、今回はゲームをせずに、あえてブログに書き出してみたというわけっす。

まとめ

というわけで、家で1人になった瞬間から何か悶々としていて、夜おもむろに外に出て、自転車でガーって走りながら考えたことをバーっと殴り書きしたわけだけれども。

書いてる途中からちょっとスッキリしてきた(笑)

要は、刺激側の世界で色んな人と色んな予定を入れて、その中で新たにチャレンジする何かを見つけ出したいんやね、僕は。

それが上手く回ってないから自分が何をしたいのか分からなくなっているように感じて不安になってるわけだ。

そこから脱却するための1つの選択肢として、コミュニティを変えることも考慮しなければいけないと漠然と思ってると。

ただし、刺激側に寄りすぎることで安定側の世界のまなどんや子供たちとの関係性を崩す結果にならぬようにしなければならず、そのためには『変わらないことは幸せだ』と感じられるように意識しておかなければならない。

そしてあわよくば、安定側の世界にいるまなどんと一緒に刺激的な話が出来れば、安定側・刺激側の幸せをどちらも一気に味わえる、素晴らしい解決策になるのだなあということだね。

・・・やっぱり夜中に書いたラブレターみたいな結論になった。




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